日本企業がマレーシアに与えてきた影響について考えてみたいと思います。
マレーシア人に取って日本は特別な国の一つです。「日本」と聞けば誰もが”世界でも有数の先進国”とのイメージを思い浮かべる様です。実際マレーシアにおいて日本の企業は大きな役割を果たしてきました。今回はその幾つかを見てみたいと思います。
*自動車産業
マレーシアは近隣の国とは違い移動手段はバイクではなく主に車を用いる国です。街には車がそれはそれは沢山走っています。走っている車のほとんどが日本車です。その性能に対する信頼感からマレーシアでの日本車の人気は大変に高い様です。
なぜ日本車がこれほどまでにマレーシアで浸透しているかについて歴史を少しご紹介します。
*日本の車技術がマレーシアに来るまで
マレーシアの首相マハティールは政権についてすぐ「自動車国産化計画」を立ち上げました。それはこれまでは一次産品の輸出に頼ってきたマレーシアをさらなる貿易国として成長させるための一つの計画でした。1981年にはマハティール首相自ら東京の三菱商事の三村社長のところを訪れ自動車の国産化の為に援助を要請しました。1983年にはハイコムと三菱自動車工業と三菱商事の三社合弁で「プロトン」がマレーシアに誕生しました。
1985年にはミラージュをベースとしたマレーシア国産車一号「サガ」の生産が開始されました。これによってマレーシアでの日本の車技術は急速に発展し今に至っています。(2002年当時乗用車の60%のシェア)現在ではプロトンは独自開発の車を生産販売しています。
最近ではダイハツと提携している「プロドゥア」も勢力を伸ばして販売を行っていますし、トヨタ、ホンダ、日産、ISUZU、マツダ、スバルといった日本のほとんどの自動車メーカーがマレーシアでの販売を行っています。
*小売業
前回の記事でも触れていますが、マレーシアには日系のショッピングセンターが数多く存在しています。特に進出しているのがイオン系です。これにもマレーシアの首相マハティールの政策が関係しています。
マハティールは「都市生活向上」を目指していました。そして「日本から商業を学びたい」ということで、1984年に「ジャヤジャスコストアーズ」を設立させます。このジャスコ(現在のイオン)の事業が現在のマレーシアの商業発展の礎になっています。
最近マレーシアでは”韓国系”の商品や文化が大きく進出して来ていますが、韓国系の企業はショッピングセンターなどの建設などはほとんど行っていません。やはりマレーシアの現在の文化を根幹で支えているのは日本の企業の働きが大変に大きいと言えるでしょう。こうしたことを知ると同じ日本人として誇らしい気がしますね。
「自動車産業」と「小売業」という点から見てみました。もちろんこれからもマレーシアの発展に日本企業は大きく関与していくことでしょう。さらに多くの人材が必要とされていくと思います。海外就職場所としてのマレーシアは大変に魅力的な場所です。